月間走行距離の意味が、ようやく分かってきた気がする
ランニングを続けていると、必ず一度はぶつかる問いがある。
「月間走行距離って、どれくらい走れば正解なのか?」 という問題だ。
SNSを見れば
「月300kmが当たり前」
「サブ4なら最低◯km」
「この距離じゃ足りない」
そんな言葉が簡単に流れてくる。
かつての自分も、少なからず距離信者だった。
距離を踏めば強くなる。
距離を踏まなければ足りない。
でも今は、少し違う景色が見えている。
月間走行距離は目標ではない
結論から言うと、
月間走行距離は「目標」ではない。
目標にしてしまった瞬間から、距離は危険な数字になる。
・疲れていても距離のために走る
・ジョグのはずが中途半端に速くなる
・回復より「ノルマ」が優先される
その結果、練習の質は下がり、体は消耗する。
距離を踏んだという満足感だけが残り、
本当に欲しかった「速くなる感覚」は遠ざかっていく。
それでも距離が「いい目安」なのは事実
じゃあ距離は無意味なのか?
そんなことはない。
むしろ、距離はとても優秀な指標だと思っている。
ただしそれは
「頑張った量の証明」ではなく
**「回復力の目安」**として見たときに、という条件付きだ。
月600km走れる人は、回復力が600kmある
極端な例を出す。
月600km走れる人がいるとする。
その人は特別な才能があるのか?
もちろん、走力や経験はある。
でも本質はそこじゃない。
その人は、月600km分の負荷を回復できる体と生活を持っている。
・筋肉、腱、骨が耐えられる
・睡眠が取れている
・栄養が足りている
・仕事やストレスが管理されている
速いから走れるのではなく、
回復できるから走れている。
距離が増えるのは「結果」
回復力が上がると、何が起きるか。
・翌日も走れる
・ジョグが成立する
・ポイント練習後も壊れない
・疲労を抱えたままでもフォームが崩れない
すると不思議なことに、
距離は勝手に増える。
無理に増やそうとしなくても
「今日も走れた」
「気づいたら12km走っていた」
そんな日が積み重なって、月間距離ができあがる。
速くなりたいから練習をしたい
ここははっきりしている。
距離を伸ばしたいから走っているわけじゃない。
速くなりたいから練習をしている。
・Mペースを楽にしたい
・後半失速しない脚が欲しい
・レースで余裕を持ちたい
そのためには
強度のある練習も
ロング走も
絶対に必要だ。
でも、それを成立させるには前提条件がある。
練習には限界がある
どんなにやる気があっても、
体には限界がある。
そしてその限界は
人によって全然違う。
・年齢
・若さ
・仕事の忙しさ
・睡眠時間
・家庭
・誘惑
・寒さや暑さへの耐性
これら全部が、
回復力に影響する。
優先順位を決めた結果が、月間走行距離
結局のところ、月間走行距離とは何か。
それは
自分の人生の中で、何を優先したかの結果だと思っている。
・今日は早く寝るか、夜更かしするか
・飲みに行くか、走るか
・疲れている日に休むか、無理するか
その一つ一つの選択の積み重ねが、
月末の数字になって現れる。
頑張っている時ほど、距離のブレは小さい
面白いことに気づいた。
本当に調子がいい時、
本当に練習が噛み合っている時ほど、
月間走行距離の大ブレは少ない。
爆発的に増えることもないし、
極端に落ちることもない。
それはおそらく、
自分の限界値に近いところで安定しているからだ。
限界値が広がると、距離が増える
大事なのはここ。
限界を無理やり超えようとすると壊れる。
でも、回復力を少しずつ高めていくと
限界値そのものが広がる。
・同じ強度でも回復が早い
・ロング翌日も走れる
・ジョグが楽になる
その結果として
月間走行距離が「自然に」増えていく。
月間走行距離は回復力の通知表
だから今は、こう考えている。
月間走行距離は
努力の証明ではない
才能の証明でもない
回復力の通知表だ
今の生活、今の体、今の優先順位で
どこまで回復できたか。
それが、静かに数字に出ているだけ。
距離信者じゃなくていい
距離を否定する必要はない。
でも、信仰する必要もない。
見るべきなのは
・今日の疲労
・明日の回復
・来週の練習の質
距離はそれを映す鏡にすぎない。
まとめ|距離は追わない、回復を整える
速くなりたい。
だから練習をする。
でも
練習を成立させるのは回復力。
回復力が上がれば
練習量と質が同時に上がる。
その結果として
月間走行距離は、あとからついてくる。
今はもう、
距離に振り回される必要はない。
距離を見るのは
自分の状態を確認するためだけでいい。
そう思えるようになってから、
ランニングが一段、楽になった。

